「治療法がないのに検査しても怖いだけ」と思われてきたアルツハイマー病も、「超早期」段階で発見すれば効果的な予防が可能になります。VR ゴーグルを使った検査と予防をサポートする「Brain100 studio」プログラムを提供するMIG株式会社の代表取締役社長兼CEO甲斐英隆さんに、起業の経緯と認知症のメカニズムについて伺いました。

母親の認知症に対して何もできなかった無念さから起業

駒木)VR技術を用いて、新しいアプローチでアルツハイマー病予防に取り組むMIG(エムアイジー)社の甲斐代表にお越しいただいております。実業界における甲斐さんのご活躍はSNSを通して存じ上げていましたが、2年ほど前に認知症に関わるスタートアップを立ち上げたとご連絡いただき、正直大変驚きました。

もう十分社会的に成功されている甲斐さんが、あえてスタートアップしたのはなぜか、甲斐さんが取り組まれている認知症とは一体どういうものか、そしてMIG社はどのように解決しようとしているのか、これから何を目指していくのか、本日はこのようなことをお伺いできればと思っております。

さっそく起業の経緯をお伺いしたいのですが、以前、かつてのご自身の体験がMIGの起業につながったとお聞きしましたが、この辺りを具体的に教えてください。

甲斐)私の母親は10年間アルツハイマー病を患って亡くなりました。最後の4年間は息子の顔も夫の顔もわからなくなり、そんな母を見つめる父親の悲しそうな顔を見るのが本当に辛い日々でした。それから認知症のことをいろいろと調べたのですが、今の医学では治療できることはほとんどなく、改めて母親のアルツハイマー病に対しては何一つできなかったことを思い知らされました。

そんなこともあり、60歳になってまだ頭が切れる内にやり残したベンチャー企業へ挑戦したいと思った時に、迷わずアルツハイマー病の予防・治療を領域としました。その頃、学習院大学理学部生命科学科の高島明彦教授の認知症に関する新聞記事を目にして、早速アポを取って認知症についていろいろ伺い、結果高島先生には共同創業者になっていただき、MIGを創業いたしました。

駒木)甲斐さんのように既にステータスがある方が、60歳でスタートアップするのは並々ならぬ決意があったのではと思うのですが。

甲斐)母親のアルツハイマー病に対して何もできなかった無念さが最大の要因だったことは確かです。付け加えていうならば、同じ歳の親しい友人からの忠告が最後の引き金となりました。「もう大企業の役員は十分なので、これからはベンチャー起業にチャレンジしようと思っている」と話したところ、これまでの成功を台なしにしかねないからやめたほうがよいといわれて、その瞬間に絶対に起業し必ず成功させてやると心に誓いました。

脳内にタンパク質が蓄積することが原因で認知症になる

駒木)認知症について伺いたいのですが、高齢化が進む日本において、2025年には高齢者の5人に1人(700万人)が発症するといわれている認知症ですが、何が原因で発症するのでしょうか。

甲斐)認知症というのは、加齢をはじめとした後天的な脳の障害により、物忘れや判断能力が失われて、正常な日常生活ができなくなる状態を指します。脳梗塞や交通事故で脳を損傷した場合にも同様の状態となりますが、アルツハイマー病の場合、脳血管障害や外傷でなく、脳内に特定のタンパク質が蓄積することでこれらが起こってくることがわかってきています。

私たちMIGは認知症の中でも、最もメジャーで全体の70%弱を占めているアルツハイマー病をターゲットに取り組んでいるのですが、アルツハイマー病の場合は、タウタンパク質やアミロイドβ(タンパク質)が、加齢とともに脳内に老廃物となって蓄積し、神経細胞を変化させて(専門用語では神経原繊維変化といいます)、その結果脳を萎縮させることで記憶障害や判断能力の低下を引き起こしているといわれています。

駒木)年を取るとなぜ、タウタンパク質やアミロイドβのようなタンパク質が脳に溜まっていくのでしょうか。

甲斐)幾つかの原因が想定されています。生活習慣病のリスクが大きく起因していることが解っています。英国では心臓病での死者を減らす国家プロジェクトを20年間実施したら認知症発症率が30%減少したという実績も報告されています。また、その他の要因の1つとして睡眠が影響しているといわれています。脳内にタウタンパク質やアミロイドβ起因の老廃物が溜まっても、若い時は睡眠中に脳脊髄液を通して排出されていきます。深いノンレム睡眠であればあるほど効率的に排出されるのですが、年齢を重ねるにつれ睡眠が浅くなり、脳内に少しずつ老廃物が蓄積していくのではないかと考えられています。
これを報告した研究論文が米国の大学から発表されています。また、感染、歯周病による炎症や栄養不足、過度の飲酒によって脳が何らかのダメージを受けた際も、その防御作用によりアミロイドβが大量発生することもわかってきています。アイルランドでプロサッカー選手の脳の調査をしたら、脳震盪によるストレスで脳内老廃タンパク質が増えていたという報告もあります。

そしてもう一つ重要なこととして、アルツハイマー病の場合、こうしたことによる脳細胞の破壊は、必ず最初は側頭葉の内側にある「嗅内野(きゅうないや)」という部位から始まり、それが脳神経経路に沿って細胞破壊が他の脳の部位に拡がって行き、脳全体に拡がるとアルツハイマー病(認知症)を発症するというプロセスであることが解っています。

駒木)「嗅内野」とはあまり聞き慣れない部位ですが、どのような機能を持っているのですか。

甲斐)嗅内野と聞くと、その言葉から匂いを感知する機能と思われがちですが、実際は嗅覚だけではありません。視覚や聴覚、味覚、感覚など、外部から脳に入る五感の信号すべての情報が嗅内野を通り、脳全体に配信されているゲートウェイの機能を持っています。また、嗅内野のもう一つの重要な機能は、格子細胞(グリッドセル)があることです。記憶機能がある海馬にあるマップと連携して空間ナビゲーション機能を果たしていることが解っています。2014年にノーベル賞の生理学・医学賞を受賞したオキーフ博士とモーザー博士夫妻の研究によれば、海馬にある場所細胞(プレイスセル)が地図を自動生成し、嗅内野にある格子細胞がその地図上に等間隔の格子状の座標を認識できるような働きをすることで、瞬時に今自分のいる場所を把握できることがわかってきました。嗅内野と海馬でGPSの働きをしていると思えば、わかりやすいかもしれません。

駒木)なるほど、そのような仕組みがあるから、人間はコンパスや地図がなくても、方角や位置を理解して、行動できるんですね。

甲斐)そうなんです。またアルツハイマー病の進行が進むと、前述のようにこの嗅内野から海馬に向かって神経経路を通じて神経細胞破壊が拡がり、次第に破壊されて、最後は脳全体が萎縮して認知症を発症することが知られています。ある専門家の見解によると、アルツハイマー病が嗅内野から壊れ始めていくのは、この部位が脳の構造の中でゲートウェイ的な働きを任されており、一番酷使されているからではないかと言われています。

ともあれ、この嗅内野が壊れていないかどうかを計測することができれば、超早期にアルツハイマー病による認知障害を発見できることになります。

ひそかに進行するアルツハイマー病の最初期に発見できれば予防につながる

駒木)アルツハイマー病も癌と同様、ステージのような考え方があるのでしょうか。

甲斐)はい、アルツハイマー病は一般的にBraak Stagingと呼ばれる病理的なI〜Ⅵの6つのステージがあります。

まず、ステージⅠ、Ⅱは嗅内野内だけで神経細胞破壊(神経原線維変化)が起こり、物忘れなどの自覚症状がほとんどないままゆっくりと進んでいきます。細胞破壊がまだ微小なこのステージで気づけば比較的コストが掛からない薬剤もしくはサプリメントや発症リスクを下げる予防法で十分回復可能と考えられていますが、自覚症状がないため、現在一般的に認知症の検査に利用されている長谷川式やMMSE式では「健常者」と判定されるため発見することができないといわれています。

次のステージⅢ、Ⅳは、一般的にMCI(軽度認知障害)といわれる大脳辺縁系ステージです。嗅内野や海馬の先の周辺部位大脳辺縁系にも破壊が広がってきて、このまま放っておくと1年で10~30%、5年で50%がアルツハイマー病になるといわれています。

そしてステージⅤ、Ⅵはアルツハイマー病発症ステージです。脳の全体で破壊→萎縮が始まることで記憶障害が顕著になり、最後は家族や自分のことさえもわからなくなっていき、最終的には生命の維持に必要な脳の機能が破壊されて死に至ります。

画像: ひそかに進行するアルツハイマー病の最初期に発見できれば予防につながる

駒木)なるほど、アルツハイマー病は、実は時間をかけて水面下で密かに進んでいくのですね。ちなみに、これまでの一般的な認知症の検査アプローチと、MIG社のアプローチとでは何がどう違うのでしょうか?

甲斐)これまでのアプローチでよく知られているのは長谷川式やMMSE式といわれる神経心理テストです。どちらも記憶・見当識・計算力などの認知機能を評価するものですが、長谷川式は口頭で確認していくのに対して、MMSE式では文章の記述や図形描写なども含めて判断します。短時間で容易に判断でき、検査費用も3000円以下なので、医療機関以外に介護現場でも広く使われています。そしてこのテストで認知症の疑いがあれば、数十万円といった高額なMRIやPETによる画像診断検査をするのが一般的なアプローチです。
神経心理テストは自覚症状が出るステージⅢ、Ⅳ以降でしか判別可能な差がでないことに加え、検査当日の体調や気分によって結果が左右されるといった課題があると臨床医の先生方が言われています。

MIGの検査方法は、VRを用いて人間の空間ナビゲーション機能の位置精度(エラー距離)を定量的に測定して解析することでアルツハイマー病の進行度合いを判定するので、長谷川式やMMSE式といった神経心理テストで課題となる気分によるブレが発生しにくいのに加え、ステージⅠ、Ⅱの段階で進行判定できるところが決定的に違います。検査費用に検査時のアドバイスと、半年間の定期的なアドバイスを含め参考価格としては3000円~5500円で提供しています。基本的に価格は各チャネルパートナー先でそれぞれ決めて頂いています。

認知障害の初期に起こる 嗅内野の神経細胞の変化は神経心理検査やMRI、PET診断でもわからない

駒木)ステージⅠ、Ⅱの段階では、目立った症状はないということですが、実際に脳の中ではどのようなことが起こっているのでしょうか。

甲斐)アルツハイマー病最初期の頃は記憶障害や計算力障害といったわかりやすい自覚症状が表に出ないため、周囲も本人でさえもなかなか認識できないと思いますが、嗅内野内では神経細胞の変化が始まるとともに、空間ナビゲーション能力も少しずつ狂いが生じてきます。

具体的にいうと、正常時は格子細胞の認識の網が等間隔に揃っていたものが、細胞の変化によりその網のところどころに穴が空いたり、縦とか横に引っ張られるような形で変形して、結果認識のずれが生じてくるわけです。格子細胞が壊れてくると、ラットも人間も正しい空間ナビゲーション機能ができなくなってきます。このことを踏まえ、私たちは嗅内野の空間ナビゲーション機能のズレを的確に測ることができれば、どれほど格子細胞、すなわち嗅内野の神経細胞が壊れているのかがわかるのではないか考えています。

ちなみに現在の技術ではステージⅠ、IIレベルはCTやMRI脳画像検査ではもちろんのこと、PET検査(細胞の活動状況を画像で見る陽電子放出断層撮影)を用いても、アルツハイマー病の最初期を見極めるのは非常に困難といわれています。

(後編へ続く)

This article is a sponsored article by
''.