ニューロテクノロジーの発展によって、BMI(Brain Machine Interface)やBCI(Brain Computer Interface)は、現実味を帯びてきています。これまでSFの世界だけだったテレパシー(脳波による意思伝達)も決してフィクションではなく、実現可能性も見えつつあります。
株式会社CyberneXは脳波技術を用いた新しいコミュニケーション体験を通じて、これまでにない未来と価値を生み出そうとするスタートアップです。代表取締役CEO/CTO 馬場基文さんと、CSO泉水亮介さんに、富士ゼロックスからスピンアウトして何を目指しているかを伺いました。(聞き手:キャナルベンチャーズ株式会社 駒木)

コミュニケーションと発明をテーマに挑戦し続ける

駒木)富士ゼロックス時代に「特許王」として活躍されていた馬場さんがスタートアップとしてゼロイチにチャレンジされているわけですが、そのクリエイティビティはどこで培われたのでしょうか。小さい頃はどのようなことを目指されていましたか。

馬場)私の父は某自動車メーカーの技術開発責任者で、88歳の今でも取締役技術開発部長として新しいことを勉強しながら常にイノベーションに取り組んでいます。父の影響で小さい頃からオリジナルで新しいものを生み出すことや、機械的なものに強い興味を持っていました。時計やラジカセなどの仕組みが知りたくて、家の中の家電を片っ端から分解しまくって、よく怒られていたものです。

就職するにあたって、さまざまな企業をリサーチした中で、ゼロックス社の創業者であるジョセフ・ウィルソンの理念「我々の事業の目標は、より良いコミュニケーションを通じて、人々の間により良い理解をもたらすことである」と、ゼロックス社のパロアルト研究所のアラン・ケイの言葉「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」に深く共感し、ゼロックスと富士写真フィルムの合弁会社である富士ゼロックスに入社しました。この2人の考え方は、今でも自分の人生を歩む上での重要な指針となっています。

駒木)富士ゼロックスに入社されて以後、どのような研究をされていましたか。

馬場)富士ゼロックスに入社して研究所に配属された際、人間の五感を活用できる新たなインターフェースの開発を希望しましたが、希望叶わずデジタルコピー機(複合機)の研究がテーマとなりました。しかしながらこの複合機の研究により、尊敬する研究者である上原康博さんとの出会いがありました。上原さんにはディスカッション・技術・アイデアなど、全ての点で全く勝てないことに愕然としました。そしてその後、間近で働く中で、この人に学びたい、この人を超えたい、と思うようになっていきました。また、この出会いから、ブレイクスルー思考を学び、自分の発明で世の中を変えたいというモチベーションが形成されるようになりました。

人類のコミュニケーションを変えるためのオープンイノベーション

駒木)馬場さんのイノベーターとしての原点についてよく理解できました。ところで、当時具体的にはどのような研究をされていたのですか?

馬場)瞬間的に昇温可能なIH加熱技術と独自センシング技術を発明し、これをコピー機に搭載しました。省エネと利便性を両立させるための技術として、今ではコンビニにもある複合機に広く採用されています。また、その社会的意義が認められて、環境大臣賞や経済産業大臣賞など、数多くの賞をいただき、研究開発の成果を世の中に還元することができました。富士ゼロックス時代は、特許出願は国内外290件以上、発明技術の商品実装による社会還元への貢献額は推定4600億円以上にものぼっています。

画像1: 新しい「伝わる!」をつくる~CyberneX(前編)
画像2: 新しい「伝わる!」をつくる~CyberneX(前編)

駒木)凄いですね。本当に発明王だったんですね。富士ゼロックスの中でそれだけ成功されていたのに、あえて起業しようと思い立った経緯はどのようなことでしょうか。

馬場)そもそも起業する気はありませんでした。富士ゼロックスに入社した当初は、「自分が生み出したもので世の中を変えたい」という夢を抱いていました。そして、その夢を実現していくためには、自分のやりたいことと会社がやりたいことを合致させていくべきだと考えていました。

複合機の価値を高める数多くの発明により、富士ゼロックスに大きな事業貢献を果たしてきたという自負もありました。しかしながら、この領域の研究開発を続けていくうちに、このまま複合機を進化させていくことが本当によいことなのかわからなくなってきました。「このままいくとコンピテンシー・トラップにはまって、企業としてのイノベーションが止まってしまうのではないか」、そんな疑問が湧き上がってきたのです。

駒木)「過去の成功体験が考えを固執させて、新たな可能性の視野を狭くしていく」という“両利き経営”のお話ですね。

馬場)まさにその通りだと思います。実際に富士ゼロックスは、複合機の「知の深化」に偏って発明を続けていくことにより、「知の探索」機会を失い、次第に新しいものを生み出せなくなっていきました。そして私自身もコンピテンシー・トラップに陥っていることに気づいて、2015年にOA機器からの引退宣言をしました。

駒木)なるほど、馬場さんのゼロイチの価値を作りたいという原点はここにあるのですね。

馬場)2016年から富士ゼロックス内で共創エバンジェリストを名乗って、経営学者のヘンリー・チェスブロウが提唱する「オープンイノベーション」の手法を取り入れ、4年にわたり数多くのスタートアップと共創を進めました。その時に掲げたテーマは、「人類のコミュニケーションを変えること」でした。そしてもう一つ自分に課したのは、富士ゼロックスが保有するコンピテンシーは利用しないこと。そうしないと発想が自社都合の枠に囚われてしまうからです。結果的には、富士ゼロックス内の当時のコア技術を全く使わず、20以上の共創プロジェクトに取り組み、新規事業の種を生み出すことに成功しました。

「未来を発明」し続けるためにスピンアウト

駒木)複合機の「知の深化」から、オープンイノベーションの「知の探索」に転身し、再び成功し始めた馬場さんが富士ゼロックスからスピンアウトした理由がますます気になってきました。一体その転機は何だったのでしょうか?

馬場)富士ゼロックスにおける一連の買収や経営統合により経営環境が大きく変わったことがきっかけとなります。これを契機に、これまで社内で進んでいた新規事業プロジェクトの多くが事業仕分けを受けてストップさせられていったのですが、事業仕分け人の河村隆執行役員(当時)が、私たちと議論を重ねるうちに、逆に私たちのファンとなってくださって、後押ししてくれるようになったのです。その結果、河村さんの提案で、複数の新規事業プロジェクトのうち技術的に最も独創的で「人類のコミュニケーション」に資すると考えていた、BCI(Brain Computer Interface)の技術をスピンアウトさせることにして、2020年5月に起業しました。

駒木)「知の探索」を止めないために、ということですね。

馬場)その通りです。残念ながら今では富士ゼロックスという社名はなくなりましたが、私たちは、そこにあったビジョンとDNAを(勝手に)引き継いだという自負があります。CyberneXという社名は、Cybernetics(人工頭脳学)と未知なるXを組み合わせた造語ですが、このXに込める思いは我々はこれを継承していくという意味も含んでいます。

画像3: 新しい「伝わる!」をつくる~CyberneX(前編)

後編では脳情報の日常利用に向けたプロダクトやサービス、パートナーシッププログラムについて詳しく伺います。

(後編へ続く)

画像: XHOLOS Ear Brain Interface Prototype Demo www.youtube.com

XHOLOS Ear Brain Interface Prototype Demo

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