小型人工衛星の権威で東北大学准教授の桒原聡文さんは、小型人工衛星が実用化段階になったことで、今までの研究成果を生かして何に取り組むべきかを模索し始めます。そして、当時大学院生だった小林稜平さんの「みんなのために、人類のために」という思いに共鳴して、株式会社ElevationSpaceを共同創業しました。

小型人工衛星に魅せられた20年

桒原聡文さんは2000年に九州大学工学部に入学して以来、人工衛星工学、特に小型人工衛星に魅せられてきました。当時は人工衛星を打ち上げるのは国家プロジェクトであり、大学や民間企業が人工衛星を開発することは考えも及ばない時代です。そんな時代から桒原さんは「大学でも人工衛星を開発できるはずだ」と考え、国家規模でなくても開発できる小型人工衛星の研究に取り組んできました。

2010年にはドイツ・シュツットガルト大学から日本に戻り、東北大学大学院工学研究科助教として着任し、2015年には准教授になっています。20年にわたる功績が認められて、NPO法人大学宇宙工学コンソーシアム(University Space Engineering Consortium, UNISEC)の理事長にも就任しています。UNISECでは、「超小型衛星」を利用した実践的な宇宙工学教育が他の国々でも役立つという考えがあり、より広く海外の大学や研究機関との協力体制を築き、宇宙工学教育の実現・普及に貢献しています。

東北大学は日本の大学でも1、2を争う人工衛星技術を持っています。1台数億円かかる衛星開発は台数を重ねるのは難しいですが、すでに10~20台の人工衛星を作ってきた実績があります。衛星開発に必要となる要素技術に加え、アセットとしてこれだけの人工衛星を運用し、宇宙での試験・実験を行うことができることが大きな強みです。地上においても人工衛星の性能を試験するソフトウェアやクリーンルームなどを整備しています。リソースが限られた大学環境でこれだけのアセットと地上評価のための技術環境を持っている研究室は、世界的にも珍しいとのことです。

また東北大学はアジアの国々と連携して大きなプロジェクトを実施しており、ベトナム政府から人工衛星の製造を受託したり、フィリピンの宇宙庁の立ち上げにも寄与したりと、国際的にも高い評価を受けています。

「残りの研究人生を小林さんに賭けたい」

小型人工衛星が実用化段階になり、学術分野としては一つの節目を迎えました。桒原さんは今までの研究成果を生かして、次は何に取り組むべきかを模索し始めました。そんな時期に出会ったのが、まだ大学の学部生だった小林さんです。

若いころは同じようにコミュニティを作って活動していた桒原さんは、小林さんの活動を見て、この人は近い将来、日本の宇宙開発のコミュニティを牽引する人になると感じました。

お金儲けではなく、みんなのために、人類のためにという思いを持っていることに感銘を受けて、残りの20年、25年の研究人生をこの人に賭けてみたい、一緒にやりたいと思うようになりました。「小林さんと出会わなかったら、起業しようとは思わなかったし、教員としてのキャリアをそのまま歩んでいたと思います」と語ります。

前人未到の小型衛星再突入・回収技術に挑む

小型人工衛星とひとくちに言っても、リンゴ大のものから洗濯機くらいの大きさのものまであり、運用方法もさまざまです。小林さんと桒原さんが挑戦しているのは、宇宙で人工衛星を破棄するのではなく、落下させて燃え尽きさせるのでもなく、物資を回収するために、安全・正確に地球に帰還させる技術です。これはコンピューターを何台も搭載できる大型人工衛星でこそ可能なものの、小型人工衛星でこの「再突入・回収技術」に挑むのは国内では限られた研究グループのみです。

この人工衛星の運用を実現するには、人工衛星の通信・電源・電子制御等々から法令順守までを網羅しなければなりません。安全設計や軌道上設計等でノウハウを積み上げてきたとはいえ、政府との対話も欠かせません。他にも、小型衛星に適した燃料や推進装置などの開発も必要です。通常の推進装置の燃料はヒドラジンなどの猛毒の液体であることが多いのですが、廉価で安全なハイブリッド燃料による推進装置や耐熱性に優れたカプセルなどの開発を行っています。これらの技術は東北大学が蓄積してきたノウハウが活用されています。まさに“All-東北大学”で取り組んでいることにも優位性があります。

小林さんとのディスカッションを重ねるにつれて、桒原さんは「小林さんの信念には揺るぎがない。1つの大きな目標に向けてのプロセスはさまざまあっていい。自分はそのプロセスに携わっていきたい」と考えるようになります。

小林さんと桒原さんのビジョンとミッションが一致し、2021年2月小林さんが大学院の博士前期課程1年生を修了するタイミングで、ElevationSpaceを共同設立しました。

(後編へ続く)

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