電話を使った国産のオンライン営業システムとして革新的なサービスの提供を開始したベルフェイス。創業後順調に成長を続けてきましたが、新型コロナウイルス感染症の拡大により状況は一変、苦境に立たされることになりました。苦しい時期をどのように乗り越えたか、代表取締役の中島一明さんに伺いました。
動画メディア運営で感じた「完全リモート営業の可能性」と「電話営業の限界」
中島さんが最初に起業したのは、21歳のときで「福岡の社長.tv」という地元の中小企業経営者を動画で紹介するメディアでした。ビジネスは軌道に乗り全国でフランチャイズ展開しましたが、各地域の加盟店に依頼した広告営業の成果が上がらないことが課題として浮かび上がってきました。
原因は、メディア掲載費が安価で収益性が低いことと、加盟店の多くが社長.tvを経営者と会うためのドアノックツールとして利用するだけで営業の本気度が低いことでした。そこで福岡と東京にコールセンターを設立し、電話で全国の企業経営者へ営業を行う方法へと移行しました。電話で営業し、契約まですべて郵送・メールで行う、いわゆるインサイドセールスです。この方法で試行錯誤しながら成約率を高め、年商15億円企業にまで成長しました。
この時の経験から、中島さんはインサイドセールスの可能性と同時に電話営業の限界を感じました。対面であればビジュアルを使い、相手の反応を見ながら対応を変え、契約もその場で行えます。一方電話は顔が見えず相手の反応がわかりにくい、資料も見せられないなど、視覚情報の不足に大きなストレスを感じました。当時からSkypeやGoogleハングアウトといったWeb会議システムはありましたが、相手にアプリケーションをインストールしてもらいIDを交換する必要があるなどハードルが高く、営業用としての利便性はそれほど高くありませんでした。自身がユーザーとしての立場で「営業に特化したWeb会議システム」の必要性を強く感じたのが、のちのベルフェイスにつながっています。
社長.tvのビジネス自体は軌道に乗ったものの、資金繰りが悪化し経営が厳しくなったことで株主から退任を要求され、中島さんは29歳で自分が創業した企業から離れることになります。何もない状態でリセットされ、じゃあ次何をしようかと思った時に、営業に特化したWeb会議システムがあるといいなと思った気持ちからベルフェイス創業へと至りました。
神風が吹いたと思ったら暴風雨だった
bellFace(ベルフェイス)は、電話で会話しながら提案資料やPC画面を簡単に共有でき、営業やサポートができるサービスです。強みは商談内容を録画できることにより、今までアナログだったセールス・顧客サポート領域をデジタル化できる点です。リリース後は電話を使ったオンライン営業システムとして順調に成長し、数年で「インサイドセールスといえばベルフェイス」のポジションを獲得、52億円の資金調達も実現しました。さらに2020年4月に政府が発令した緊急事態宣言も、オンライン営業への流れを後押ししました。
中島さんいわく、「当時は神風が吹いたと思っていたんですが、実際は暴風雨でした」と。
最初の半年間は、対面営業ができなくなった企業からの問い合わせが殺到して契約数も一気に増えました。商機に合わせて実施した無料キャンペーンへの申し込みは、2カ月で12000社にも達しました。調達した資金は全方位に大きく投資し、営業やサポート人員として新たに200名近く採用しました。
しかし半年後にはTeamsやZoom、GoogleMeetといった汎用Web会議システムが急激に台頭してきて、苦しい時期に突入していきます。新規の契約が急激に取りづらくなり、リード数の減少、成約ペースの鈍化が顕著に表れると同時に解約率が激増しました。Zoomに慣れた顧客は安価な製品に流れ、更新を迎える顧客の半分以上が解約していくという負の流れを止められない状況に陥り、顧客数はわずか1年で半分以下になりました。まさに急成長、急下降でした。
顧客数が激減し人件費が膨れ上がった組織を立て直すため、中島さんは苦渋の決断として希望退職を募り組織を縮小しました。
経営者は苦しいときこそ夢を語るべき
この2年余りの出来事を踏まえ、中島さんは「経営者として起こった事象に反省し改善しつつも、どんなハードな状況でも、何があっても経営者は夢を語らないといけない」と経営者のあるべき姿について語ってくれました。
「経営が苦しい状況になったときは、社員も投資家も顧客も離れていく。そんな厳しい状況下で社長が暗い顔をしていたら、もう(会社は)終わるんです。苦しい時こそ空元気。本音はどうであれ、自分たちは大丈夫だと、今は苦しくても必ず次の道が開ける、とストーリーを作って語り続けないといけない。周りがどれだけ暗い空気になっていても、社長だけは前を向いて夢を語り続けなかったら、周りの取締役も社員も、この会社で踏ん張る理由を失ってしまうんですよね」
中島さんは苦しい時こそ夢を語り続け、金融業界に活路を見いだしたことで、30億円を追加調達し事業も再成長を遂げました。