外国人の日本での生活支援にフォーカスした株式会社SPeakは、外国人向け就活情報サイト「JPort Journal」と、企業とのマッチングサイト「JPort Match」を提供しています。創業者でCEOの唐橋宗三さんに創業に至る経緯を聞きました。

長い海外生活で感じた「日本のポテンシャル」

唐橋さんは、日本の伝統的な進学高校に入学後、すぐに自主退学し、16歳の時に単身で渡米しました。留学生の多かった現地の高校で、多様な人種やアイデンティティの人々と交流する中で、さまざまな価値観に触れ、人間の面白さに気づくようになりました。「自分の人生が下降線を辿っていると感じていましたが、アメリカでの経験によって世界観が広がりました」。

高校卒業後には、ニューヨークの大学に進学し、アジアやラテンアメリカ出身の友人たちに囲まれながら、次第にグローバル感覚を身に付けていきました。その中で唐橋さんは、日本の良さとポテンシャルに気づきます。

「日本はまだまだポテンシャルがあります。文化的なコンテンツが豊富で、治安も良い、そして企業のすそ野も広い。多くの友人が日本での生活や仕事に興味を持っていましたが、そのチャネルがあるかどうかに疑問を感じていました。これが現在のビジネスを始める原点になりました」。そして、「日本をもっとグローバル化させたい」という決意を胸に、大学卒業後に帰国の道を選びました。

日本の負の側面を変えたい

帰国後は日本の大手メーカーに就職し、営業企画や営業戦略部門に6年間勤めた後、社会人大学院に進学してMBAを取得しました。そこでは多くの外国人留学生と接する機会がありました。
外国人留学生が日本で生活していくむずかしさを目の当たりにしたことが、キャリアを模索していた唐橋さんの起業を決意させるきっかけとなります。

高校時代の同級生と国際結婚していた唐橋さんは、「妻は優秀で英語も堪能な上に、日本人の配偶者としてのビザも取得しているにもかかわらず、外国人ということでクレジットカードを作るにも、アパートを借りるにも苦労をしました」と話します。

また、MBAで知り合ったマレーシア出身の友人も、語学に堪能なトリリンガルであり、その上学歴も申し分がないのに、日本の就活の仕組みがわからず、良い就職先が見つかりませんでした。やっと採用された企業でもパワーハラスメントを受けてメンタルヘルスが損なわれ、結局マレーシアに戻ってしまいました。

これらの経験が積み重なる中で、日本の負の側面を実感し、このままでは日本が世界中の優秀な人材から選ばれなくなるという危機感を抱きました。「この状況を変えなければならない。人材紹介の会社はたくさんあるが、外国人の待遇を大きく改善するサービスは見当たらない」と考えた唐橋さんは、起業を決意します。

「日本の就活の常識は、世界の常識ではない」

唐橋さんによると、外国人が日本で生活していくには「キャリア」「金融」「住まい」の3つの関門があるといいます。その中で、最初にフォーカスしたのは「キャリア」の問題です。

日本人学生の就職率は86%ある一方で、外国人留学生の就職率は35%しかありません。語学の問題があったとしても、彼らの能力からすれば70%くらいあってもよいはずです。そのギャップを埋めるため、外国人の就活支援から着手しました。

「日本の就活の常識は、世界では常識ではありません」と唐橋さんはいいます。ガクチカ(学生時代に力を入れたこと)、SPI試験、自己PRなど、日本独特の就活のテクニックが必要です。外国人留学生がいかに優秀であっても、自己アピールができなければ就職が難しい。彼らが帰国してしまえば、それは日本にとっても大きな機会損失です。唐橋さんは、その課題を解決するために、まずはキャリアメディアの「JPort Journal」の運営を始めました。

(後編へ続く)

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